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down beat Talkダウンビート語らいの場

"たくさんの人にとって、壁に掛かったノートは、ちょっとした精神安定剤や痛み止めのようなものなのかもしれない。"

第2回は、JAZZ PROMENADE2007直前!ダウンビートの常連であるおさむさんのコラムを紹介します。

Next Stop, down beat

第2回 by おさむ

僕が横浜に住み始めたのは、前の会社で渋谷勤務になってからのことだった。大学生まで家族と住んだ兵庫県西宮市を放れた1986年4月からのことだ。

21年も昔。そんなに昔のことになったなんて、全くの質感がない。年を重ねていくということは、そういうことなのかもしれない。横浜に住み始めてから3年半くらいまでは、山下公園近くの、今はなくなったCircus や中華街のバーに出入りしていた。野毛へと行き始めたのは、ちょうど前の会社を辞めて、今の会社に就職した頃だった。

僕は20代の半ばを30歳に向かって坂を上っていた。野毛へは、その頃付き合っていた女性とよく行った。その女性と一緒によく行ったのは、「ちぐさ」であり、「山陽」であり、「村田屋」だった。その彼女は、銀行を辞めて日本語を教えるための専門学校へと行きなおし、その後、様々な外国人に日本語を教えていた。そして、ジャズピアノを習っていた。彼女が好きだったのはハービー・ハンコックだった。日曜日、僕は本牧に英語を習いに行っていた。根岸基地に勤めるオフィサーだった。日本人の女性と結婚して、根岸ベースではなく、本牧の普通の住居に住んでいた。そこで、日曜日に様々な層に英語を教えていた。マイカル周辺がもてはやされていた頃のことだ。その彼女は、県立図書館の自習室で、翌日月曜日からのレッスンの教案をたてていた。夜に野毛で待ち合わせをして、そこから食事に行ったりしたものだ。10年前くらいに、その彼女からのハガキが届いた。山口県からのものだった。結婚して娘さんがいるということだった。30歳を過ぎて、別れてから3年くらいが経った頃のことだった。会社の新しいスタッフの歓迎会の夜で、ハガキの懐かしい字体を見ているとその声が浮かんできて、よかったねと心から思いながら、声を出して泣いた。

こんな感じで、本のことや、映画のことや、旅行のことや、仕事のことや、会社のことや、社会のことをただ書き綴ったのが、down beat の壁にかかったノートブックだった。僕がそのノートに文字を並べ始めようとした頃には、盤匠さん(?)という人が、Jazzの新譜などについて、もの凄い分量と推進力で文字を残していた。きっとその内容の密度は高かったのだろう。しかし、その文字がスイングしすぎて、僕には判読できなかった。(失礼)しかし、そのビートは感じることはできた。
 僕が結構な頻度でノートに文字を残していた頃、風来坊さんもいた。ページに文字をはめまくる僕と対照的に、いつも4行くらいで、自分の言いたいことを「そこはかとなく」落としていた。勿論、インターネットも発達しておらず、SNSなんてない時代だ。マイクロソフトがWindows で世界を変え始める前のこと。(変わって、世界はよくなったのか?)

それでも、壁に掛けられたそのノートは、トラディショナルなコミュニケーションの方法のひとつだった。久しぶりに訪れた懐かしさと高揚感で、感想を残す人。勇気を出して、文字を残す人、何かを貼り付ける人、うまい絵を書く人、下手な絵を書く人、酔った勢いのまま文字を並べる人、スペイン語を書く人、そして、自分のペースで文字を残す常連(この常連は、時間と共に移り変わっていく)。

おそらく共通項があるとすれば、少なくとも人生において、人の「寂しさ」や「孤独」を知っているということ。(その理解度の差はあるにしても)そして、(同じようにその差はあるにしても)自己顕示欲が強いということ。(表裏の関係ですね)寂しくない人間なんていない。この現象社会に引っ張り出され、慣れてきたなと思ったら、また分解されて、空や水や風に還元されてしまう存在なのだから。

 たくさんの人にとって、壁に掛かったノートは、ちょっとした精神安定剤や痛み止めのようなものなのかもしれない。

何か問題があったとして、そのノートにいくら文字を並べても、残念ながら解決にはならない。大抵の場合、行動することでしか解決しないからだ。しかし、人生には精神安定剤や痛み止めは必要不可欠なものだ。ビタミンCが、生きていくための主要な栄養素でないとしても必要なものであるように。
結局のところ、それぞれのやり方で、「スイング」すればいいのだ。

ジンライムとニーナ・シモン
ジンライムとリー・モーガン
ジンライムとセロ二アス・モンク

そう、そう、down beat のジンライムは、ライムがきっちりとグラスについてくる。苦味と酸味も大事なフレーバーなのだ。

目をつぶって階段を上る。聞こえてくる音楽。扉を開ける。音楽が外へと溢れ出す。左へと進む。スピーカーから音が向かってくる。壁にノートが掛かっているすぐ横の席に腰掛ける。ボールペンを取り出す。ジンライムをたのむ。ジャッキー・マクリーンが流れている。黒い紐をつかみ、ノートを手にする。ノートを開き、日付を書き、時間を書く。

Next Stop, down beat.
Yes, I love to swing.
Osamu

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(2007年10月2日 寄稿)